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決め付け。

2012-03-30 Fri 20:54
 私を決め付けないでくれ。
 お願いだから。

 と、何が言いたいって文字通りなんですがー。
 他人に自分がどうであるかを決め付けられるのって非常に不愉快ですねって。
 
 指摘とは違いますヨ?
 ……まぁ、その境界も曖昧ですけどね。

 とにかく。
 自分で「ちゃんと把握している」ことに関して他人からそれは違うだのお前はそうだのと言われたくはありません。苛々するから。

 とゆーか、私の数少ないキレる原因だったりします(笑
 普段は結構冷静な方だと思うんですよ?

 や、こういったことは自分じゃ分かってないのでホントかどうかは知りませんが。
 テンションが高いとかどうこうの話ではなく、考えがどうか、動きがどうかって話ですね。

 
 今思い出しても苛々する出来事に感情を揺さぶられてキーを打




 さて、2011年4月頃の未公開記事を発掘しました。
 正に↑の状態で放置です。なんとも言えないところで途切れてます。
 
 確か上の通りに感情のままに打ち込んでいて、前にも似たような記事を書かなかったか? なんて思って書くのを止めたんだったと思います。
 今でもその出来事を思い出すと不愉快極まりないのは事実ですが、大分冷静なので続きでも書いてみようかなと。




 決め付けの話ですが。

 誰かを○○だ、と決め付けることは良くないと思うんです。
 しかし誰かに「○○だ」と指摘することを否定は致しません。

 両者の違いを言葉にしていこうと思います。正直に言って自分にもハッキリと区別出来るか自信がありません。
 まぁ、私が思うに「自身の意識」が問題なのではと。

 誰かに何かを言われ、それはそうだと思えたならその「何か」は指摘で、
 誰かに何かを言われるもそれは違うと思うのなら、それはまた別モノだと思う。

 そして私の言っていた決め付けとは「何かを言われ、それを否定するも、その否定を否定してくること」ということになります。
 言葉がぐちゃぐちゃしていて分かりづらい。
 とにかく「分かっていること」を指摘するのは、それはもう指摘では無いってコトです。

 指摘とは問題となる事柄を取り出して示すことです(広辞苑)。
 しかし本人が分かっている場合、それは「問題となる事柄」では無いと思うんです。

 分かっている上で、問題としていないワケなので。


 そーゆーコトに対して、何だかんだ言われるのは不愉快でしょう?
 
 だから
 決め付けないでくれという最初の言が出ました。

 色々説明したし特にこれ以上は続ける必要もない気がするけど、
 なんだろうこの不完全燃焼感。
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論理。

2011-06-22 Wed 17:04
 自己推薦にて大事なのは自分の意見とそれを論理的に説明する思考力! と口。

 まぁ、自分の意見はちゃんと持ってるつもりです。
 議論討論口論も好きですしね、そういうときによく喋ります。
 というか基本的に自論を述べ続けているので?

 まぁそちらは良いとしてー。
 論理的に説明する能力が不足しているのです。

 適当に生きてるせいな気はしてる。

 
 こういうのはやっぱ慣れですよねー、などと思いながらブログを書く。
 ほら、こういうのも同じじゃない? 伝えることを伝わるように書くんだから。
 
 まぁ、そのブログに書いたものを見直すと微妙すぎる気分になるんですがー。


 確固たる意思が大切なのかな、とか思っています。
 やっぱり意見を説明するにしても、意見自体はしっかりしてても説明しようという意思が足りなければ伝わらないわけで。
 説明する力の有無とかそれ以前に、普段から伝えようとしていれば重要なときでも伝わると。

 慣れって大切。特にこういうことは。

 自己完結とかが一番ダメなのです。
 よく思考の食い違いが発生するのでそれを説明するんですが、
 大体結局伝わらないので最終的に適当に流す、みたいなこと繰り返してるのが問題。

 でもねー、日常的にそんなしつこく議論してて良いの? っていう。
 
 私は楽しいので良いんですけどね。
 相手の気持ちなんて分からないからあんまり同じ話題で平行線を進みたくないのですよ。


 さてさて、論理的な思考として「慣れ」とか語ってましたが。
 他には何が重要なんでしょうね?

 ……思考に関しては慣れで良いか。

 →次に相手に伝える為に、ですか。
 取り敢えず考えを言葉にするっていうのは中々難しいこと。

 そして論理的な言葉っていうのはまた難しいんだと思う。
 「考え」→「言葉」ですら難しくて、
 じゃあ「『論理的な』考え」→「『論理的な』言葉」って変換はきっともう一段階くらい難しいはず。

 考えを論理的にし、それを言葉で論理的に説明するわけだからー、
 二行程くらい増えてる?
 まぁ簡単に分かりやすく説明しようとしてこんな表現になったわけですが。

 ここで読んでる人が「余計分かりづらいよ」ってコトになったらそもそも思考回路の問題に!
 分かりやすくしようとして分かりづらくなるって。なんでですかー。


 まぁそれは置いといて(実際そうだと困るのでもしそうだったらコメントお願いします……)。

 論理的な言葉での説明です。

 論理っていうのは物事間の法則的なつながりです。
 広辞苑からの引用ですが、これまたイマイチ実感のわかない定義ですねー。

 支離滅裂になるな、って認識で良いのかな?
 あ、いや、それだけってワケではないけども。

 →「順序良く」「分かりやすい言葉で」とかですかねー?
 法則だか繋がりだかって話は「道に沿え」と「切るな」で良いのかなー?
 この自作表現が非常に分かりづらそうだなー、などと思いつつ。


 結局は質疑応答の感じが一番なんでしょうねー。
 疑問点に答えるようにやっていけば相手は分かるはずなのだから。
 まぁ、自分から伝えるんじゃなくて相手が汲み取るって感じですが……。
 
 なんて受動的。まぁ、伝わればいい気はする。
 ……ちょっと釈然としないけどまぁいいや? (きっとココらへんの適当さがダメ)


 



 そんなこんなで久しぶりの更新。
 しかも途中まで書いていた文をそのまま投下という手抜き加減。

 理由としては、本当に実生活の方が大変だから。

 やりたいことも程ほどにやっていて、
 やらなくてはいけないことも程ほどにやれてきていて、
 まぁ生活としてはそこまで酷いものでも無い感じ?

 平均以下なのは周り見てると確実っぽいですが。
 人間そう簡単に変われません。
 無理に変わろうというつもりもないし。
 
 何かと替われれば良いんだけどねぇ? いや、代わる?


 とりあえずそろそろ本気でブログが面倒くさくを続けるのが難しい状況になってきました。
 これが受験生! なんておそろしい!

 ということで、
 更新は気晴らしに何か打てたらもしかしたら程度。

 皆さんのブログを覗きに行くのも、
 きっと「読む程度」に留まる可能性が高いです。

 心惹かれたらその限りではありませんが。


 では、挨拶? もこの辺にして。
 またいつか、
 最終的には来年とかに遭いましょう。

 
 浪人も、100%の回避じゃなくても良いんじゃないかと意識の変化。
 これにて。
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利己主義。

2011-05-08 Sun 17:25
 私は利己主義者です。
 己を最優先させている人間です。

 まぁ、改めようとも思わないけども?


 一般的に利己主義って余り良いイメージが無いように思っているんですが、
 そこまで悪いものなのかな? と。
 自分がそうであるが故に擁護して。

 行動理念の大体が利己なのでしょうがないんですがー。
 誤解を怖れず言うなら、
 「他人なんてどうでもいい」。

 おおっと、分かりやすい悪役みたいな科白が出てきましたよー?


 ケドこれってそこまで酷いことでもないと思う。
 →まぁ、一般的な倫理観が有ればこその話ですがー。

 
 一応普通の倫理観は持ってるつもりです。
 分かりやすい所で言うと「法律破り」はよくないとか?

 さて、
 「他人なんてどうでもいい」
 「利己主義」 この二つは自分の有り方です。

 じゃあ自分の為に人を不幸にするかっていうと
 (一例だけど)「法律破りは良くない」っていう自分の意識がそれを抑制してくれます。

 まぁ、例えば強盗でもするとしましょうか?
 他人なんてどうでもいいなら躊躇いは無いはずで、
 利己主義に適っていますね、

 けどそれは所謂法律破りです。
 一般的な倫理観を持っているということなので、そんなことを犯す自分は「不愉快」なワケです。

 そうすると、「利己主義」に反するんです。
 ってことで、犯罪なんてしませんヨ?

 
 利己主義だからって、決して利他を蔑ろになんかしません。
 何故なら「他人の幸せを侵す自分」が不愉快で嬉しくないし楽しくないし、嫌だから。

  っていう結論理由説明?

 



 逆の方向で純然たる利他である善意についてもカタってみようと思ったけど、
 まとまりがなくなったのでLet's Back Space!
 文法は気にしない。

 
 さて、近況でも?
 と言っても特になにもないんですがー。

 学校に行って塾に行って。
 勉強しないといけないのに結構遊んでるってそんな感じです。

 素晴らしき(嘲笑)惰性の日々。


 唐突ですけどパソコン関係に詳しくないので、
 色々とやろうとしたことが出来なかったりとタイヘンです。
 ちょっとした気晴らしの為の作業なので、あんまり本格的にやるつもりもないんですよねぇ。

 難しい。
 やりたいけど出来ないこのジレンマ……。

 と、短いけど終わります。
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記憶。

2011-04-25 Mon 22:58
 記憶なんて曖昧すぎて信用出来ない。
 自分が「記憶している」その思い出、出来事が現実だなんて根拠は一体どこにあるの? って。

 敢えて言い直したいけど、
 「自分が記憶している、と思い込んでいる思い出」なんてどこから来たものかなんて分からないさ。
 ホントウに本当に現実から来たのかもしれないけど、
 妄想から来たのかもしれない。夢かもしれない。

 もしかしたら、誰かに刷り込まれたのかもしれないしね?

 
 まぁ何をそんなに懐疑的になっているのかと言うと。
 
 経験ですか?
 というか、いつものことですが。所謂日常。

  自分の記憶が全く持ってアテにならないので疑ってみた次第です。


一、そもそも失くなってる。欠けてる。
二、時系列がバラバラ。ちゃんと並んでない。
三、明らかにおかしい視点の記憶が混ざってる。

  →自分が映り込んでいる映像を見ている、という「記憶」とかね?

四、空想と現実の区別がついてない。
  etc...


 そんな感じで、いい感じにトんでます。
 そりゃあ疑いたくなります?

 ……。もしかして普通?
 ……いや、そうだとしても私にはこんな不安定なモノは信用できないけどさー。


 記憶なんて形のないものは幾らでも捏造可能だし、
 簡単に失くなるし、(よく「忘れる」のは思い出せないだけと言われるが、「無(亡)くなる」じゃないので。)

  やっぱり幻想だ。

 今やっていたことさえ分からないんだからね。
 過去とか現在とか未来とか、色々と時間は有るようだけど。

 実際に在るのは現在くらいだと思う。
 
 過去なんて改ざん可能で、不確かで。
 未来なんてのは誰にも分からないしさ。

 信じられるものなんて、今を生きているその「瞬間」しか無いんだ、きっと。
 一秒前の記憶だって ホンモノか? って。いくらでも疑える。

 今この瞬間だって夢かもしれない、とも言えるかもしれないけど、
 まぁ「記憶」としては間違ってないんじゃない?

 夢の中での夢の記憶ならそりゃあ本物だろう。
 問題はのは、夢も現も区別しないぐちゃぐちゃなキオク。キロク。

 

 儚くて、微かで、嗚呼もう不愉快で楽しいね。





 ところで完全記憶能力が欲しいです。
 なんて↑を全部ぶち壊すようなコト吐いてみる。
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勉強。

2011-03-31 Thu 11:13
 高校受験、大学受験。
 受験というものは、学生にとってとても大きな節目だと思います。

 私は中学受験は経験しなかった身ですので、それについては割愛で。


 今、あと一年弱で大学受験を向かえるという状況に居るわけですが、 
 幾つか考えたことが有ります。

先生曰く、
「誰でもがり勉すればどんな大学も合格できる」と。

   ※注)がり勉(我利勉)とは、他のことに目を向けず勉強だけすることを言う。


 どんな、って部分はどこまで信用していいのかは知りませんが、
 実際事実だと思ってます。

 だって何をすれば良いのかは皆分かっているんだから、
 後はどれだけ努力するかに懸かってる。


 凡人は天才には成れない。努力で成れるのは秀才まで。

 この言葉も私がよく使う言葉ですが、天より授かった才には勝てないかもしれない。
 (能力の良し悪しは置いておいて。あくまで比較として「天才」を起用。)
 けれど、秀才には成れるのだから。

 文字通り秀でた才能。
 なら受験だなんて限られた知識を[ため]す壁はパスできるはず。

 
 だから、
 がり勉すれば、努力したわけで、試験は合格できる。

 
 さて、じゃあなんで試験に合格したいのかって話ですが。
 大学に入りたいからです。
 なんで入りたいかって、良い就職先に就きたいからです。

 大学生活という過程も大切かもしれませんがね、
 最終目標としてはやっぱり社会に出た後のコトがあると思う。

 
 私も就きたい職業があります。それはこの先、生きるためでも有りますね。
 就くには、大学課程が必要です。

 だから、合格したい。

 
 結構必死な筈です。
 この願いは成就させてみせると意気込んでいたりもします。


 じゃあ当然の帰結として、そんなに受かりたいんならがり勉でもなんでもして成功率を100%(100%に限りなく近く)にすれば良いじゃないか、……となるんです。なるはずなんですが、

 私は、
 活きないで得る結果に価値はあるのか、意味はあるのか……と問う。


 大学合格は極端な話、生きる為です。
 社会の一員と成るために学び、その過程で得たもので就職し、稼ぎ、生きる。

 とても重要な案件でしょう。


 でも、生きるために一瞬でも「活きること」を放棄したくないんです。
 ここで言う活きるっていうのは、生活を楽しむこと、とでも解釈して頂ければ問題ないと思います。
 このブログでも何度か取り上げたこともあったかな。

 例えば、
 私はアニメが好きです。漫画も好きです。物語が好きです。
 これ等を識る(観る、読む、知る)ことを止めるつもりはありません。

 この先の一年間でさえ。
 ……まぁ、自重はすると思いますけどね。
 でもだからって完全に絶つか、絶てるかと訊かれれば答えはNoです。


 絶対に合格したいと思っているのに、
 その合格の為の時間を別のことに使うことは止めないと宣言している。

 中々酷い矛盾ですかね。
 勉強を楽しむとかそういう話以前の問題なんですが。

 今まで依存してきた娯楽を捨てられないんですね。


 
 こんな考えは、甘いんでしょうか?




 一つ、まだ「落ちたこと」がないのも問題かもしれない。意識下で。

 高校受験のときは私立で相当良いところに受かってしまったんで、公立受けずにそこにしたんですよね。
 受けた高校は2校だけ。
 だから、私はまだ落ちるっていう経験をしていません。

 経験とは知識です。

 だから、無知な子供なんです私は。
 故に、危機感が圧倒的に足りてないんですかね。

 落ちたときの感情を持ち得ていないんです。


 同じ経験から、もう一つ理由の仮説を。
 がり勉をすれば合格できるって言いますけど、
 じゃあ大学入ってからもがり勉し続けられるの? っていう話。

 まぁまず無理でしょうね。
 一年ならまだしもそれを何年も続けるだなんてきっと死にます。
 比喩かもしれませんし、文字通りの可能性だって充分に有る。

 
 でも入ったら後は程ほどに頑張ればなんとかなるんじゃない? って意見もありそうですが、

 さっきも書いたとおり、
 私は「相当良い高校に入った」んですよね。

 ここで言う「良い」っていうのは、「偏差値が高い」とかの学力的な意味での話になります。
 だから知ってるんですよ、経験として。


 自分に不相応な場所に居たらどうなるのか、っていうのが。


 大分辛いですヨ?
 まぁ私は今なんとかなってるわけですが、

 高校受験で、「偶々」なんとか入れた実力より上の学力の学校に居る今、勉強は大変です。

 でも、それは偶々だとしても、問題の相性の問題があったとしても、
 「なんとか」届く程度の話です。
 中学時代がり勉したとかそんな事実は有りません。

 因みに、今の学校での立ち位置(成績的な意味で)を考えると偶々っていうのは真実だと思います。
 高校入って堕落しすぎたとかそういう可能性もなくなはいけど。


 じゃあ、がり勉して入った不相応な学校でどうなる?
 →潰れる。

 簡単な構図ですね。
 
 まぁつまり、
 結局何が言いたいかと言うと、

 活きるのをやめてまで生きたくない、ってコトです。



閑話休題。



 春休みです。塾では春期講習とかもありました。
 色々意識改変されましたねー。一先ず頑張っていけそうです。

 アトやっぱりAO入試は目指す。
 可能性が有るのなら、それを目指さない手は無いでしょう。

 そこで合格できれば狂喜乱舞ものです(`・ω・´)
 多分狂ったテンションの記事が投下されるに違いない。


 まぁ兎に角、記事更新の度に宣言することで意識を保っているんですという言い訳にて。
 勉強頑張っていきますよ!

 では。
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